フィリピの信徒への手紙３：１－１６　　　　　目標を目指して　　　　


　　問題の所在
　　アメリカでの銃乱射事件で全世界が衝撃を受けました。その事件の原因として様々なことが挙げられており、現在も調査中でありますが、その原因の中で一つは「１．５世代」という言葉が示しているように、新しい環境に移住した一人の青年のアイデンティティの問題だと報じられております。異邦人として異国で生きることの難しさを改めて教えてくれた悲しい事件だったと思います。

　　このニュースを目の当たりにしながら、新ためて考え直したことがあります。それは価値追求においてどこに優先順位をおくべきなのか、ということなのです。ある意味でわたしたちはチョスンヒのような存在ではないかと思います。彼が韓国系アメリカ人として生きていかなければならなったように、わたしたちはキリスト者としてこの世で生きているからです。神の国とこの世の国という二つの国の市民であり、だからこそ、「自分は一体何者なのか」と自分自身に問いかけるとき、どう答えればよろしいでしょうか。神の価値とこの世の価値が衝突するとき、そしてどちらかを選択しなければならないとき、どちらを優先すればよろしいでしょうか。わたしたちはこのような悩みを持ちつつ、信仰生活を送っており、おそらくこの悩みはこの世に生きている限り、解けにくい問いでないかと思います。今朝は、このような問いに対して、聖書からの答えを聞いて参りたいと思うのであります。


　　頼りの対象
　　フィリピの信徒への手紙３：１－１６は、パウロの自伝的なことが書いてある箇所なのです。考えてみますと、パウロはある意味で多文化的な環境の中で生きた人だったと思います。５節で告白しているように、パウロは生まれて八日目に割礼をうけたヘブライ人の中のヘブライ人であったのです。また、彼はパリサイ派であって、律法の義については非のうちところのない人でした。律法を完全に守っていて、宗教的には何の問題のない人だったのです。つまり、パウロは人間的には足りるところのない人の一人であったのです。

　　日本の政治文化の中で興味深く感じるものがありますが、それはある政治家が引退、あるいは死んだら息子がその後をつくことなのです。有権者らはその息子に投票するのですね。政治家の家の生まれて、またお父さんから遺伝子を受けついたので、そうではない人よりは立派な政治家になると、思うからではないか、わたしなりに推測しながらみております。世間はこのようなものを重んじ、そういう外見的なものに頼っているのであります。パウロの言葉を借りていうならば「肉に頼ること」であり、肉のものを誇りとすることでしょう。

　　わたしたちは学歴、またはこれまで積み重ねてきたこと、そういうことで得られた経験といったものを大切にしています。それは、わたしたちが業績によって評価されることを重んじる風土の中で生きているのです。もちろん、これらのものは大切なもので、この世に生きている限り無視してはいけないものでしょう。場合によっては、こういった業績、わたしたちが積み重ねてきたものは、満足感を与えるかもしれません。そこで生きがいを感じるかもしれません。

　　しかし、永遠という観点ならみれば、満足は一時的なものにすぎません。環境、あるいは場所が変わると、頼りの対象にはならない場合があるのではないでしょうか。パウロの言葉を借りて言いますと、「塵あたく」とみなされる場合があるのではないでしょうか。自分が頼りにしてきたものが否定される場合があるのです。パウロにとって肉のことは彼の生きがいであり、頼りの対象であったのです。

　　しかし彼が８節の後半で言っているように、彼は自分が誇りとしてきたものを「塵あたくとみなしました」。そこには、復活なさったイエス・キリストという絶対者との出会いがあり、そのイエス・キリストという鏡を通じて自分をみると、その鏡の中に映された自分は、これまで自分が思い込んできた社会的にも、宗教的にも認められてきた、そして人々からあこがれの対象であった立派な自分ではなく、むしろ罪深いもの、惨めな自分であったのです。

　　７節―８節ですが、パウロはこう言っています。「しかし、わたしにとって有利であったこれらのことを、キリストのゆえに損失とみなすようになったのです。そればかりか、わたしの主キリスト・イエスを知ることのあまりのすばらしさに、今では他の一切を損失とみています。キリストのゆえに、わたしはすべてを失いましたが、それらを塵あくたとみています」。パウロの頼りの対象が完全に変わったのです。永遠に変わることのないイエス・キリストがパウロの頼りの対象になったのです。イエス・キリストが彼に全てとなったゆえに、パウロは以前の肉的な特権をゴミ袋に入れ、そしてその袋を害としたのであります。ただ、このような行動は、以前の肉的な特権に対するパウロの無関心ではなく、むしろ恐れをもってそれらのものを否定、拒否するのであります。イエス様がマタイによる福音書１６：２６においておおせられました。「人は、たとえ全世界を手に入れても、自分の命を失ったら、何の得があろうか。自分の命を買い戻すのに、どんな代価を支払えようか」。パウロにとって優先順位はキリストにある「命」であったのです。人間にとって誇りと憧れとは、わたしたちが神の恵みによって生きていけるのだということなのです。


　　新たな自分探し
　　過去の自分を否定したパウロにとって新たな目標が与えられたのです。それはキリストにあって自分を見つめなおし、そしてその中で生きていくことであります。９節です。「キリストを得、キリストの内にいる者と認められるためです。わたしは、律法から生じる自分の義ではなく、キリストへの信仰による義、信仰に基づいて神から得られる義があります」。

　　パウロのいう「キリストの内にいる者と認められるためです」とは、キリストの中で自分を発見するためです、と言う意味です。パウロが新たに発見しようとしてことは、自分が神に「義人」として認められていることでしょう。キリストにあって神に「義人」とされているので、「復活の力を知ること」と「苦しみにあずかること」を目標としているのです。救われた者にとって一番大切なことはキリストを知る知識を得ることなのです。わたしたちが得ようとしている神に関する知識というのは、理論的な知識、あるいは思弁的な知識ではありません。わたしたちが得るべき知識というのは、今、わたしたちがキリストを復活させた神の力によって生かされていること、そしてそれと同時に苦しみの中で神と交わりをしていることなのです。喜びがあっても、悲しみがあっても、「神を生きる」のであります。キリスト者はキリストを蘇らせられた神の恵みの中で、その力の中で生きているのであります。「神を生きる」というのは、神によって生かされていることで、これがわたしたちの信仰の知識であり、また「生きる神の力」なのです。

　　１２節です。「わたしは、既にそれを得たというわけではなく、既に完全な者となっているわけでもありません。何とかして捕らえようと努めているのです。自分がキリスト・イエスに捕らえられているからです」。ここで「捕らえられている」とは、パウロの回心の出来事によって起きた状態を指すと考えられます。パウロの回心というのはパウロ自信の意思によるものではなくて、むしろ、神の意志であったのです。キリストの意思によって回心したから、彼はキリストに「捕らえられている」のです。つまり、キリストの奴隷であり、キリストの所有なのです。キリストの所有となったから、パウロは「前のものに全身を向けつつ、目標を目指して走る」（１４節）というのです。

　　わたしたちが目指すべき目標とは神が設定された目標です。コリント一９：２５では目標を「朽ちない冠」といい、テモテ二４：８では「義の栄冠」としており、ヤコブ１：１２では「いのちの冠」と記されております。テサロニケ二１：１１では「招きに相応しいものになること」と書いてあるのです。「このことのためにも、いつもあなたがたのために祈っています。どうか、わたしたちの神が、あなたがたを招きに相応しいものとしてくださり、また、その御力で、善を求めるあらゆる願いと信仰の働きを成就させてくださるように」。

　　教会における宣教の目標、あるいは個人の目標というのは、単なる願い次元のものではなくて、神が与えられた目標なのです。また、その目標というのは、わたしたちが成し遂げるべきものだけではなくて、神がくださる一種の「賞」のようなものなのです。そして、その目標に目指して走れるのは、わたしたちの力、意志ではなくて、むしろ、神の恵みなのです。わたしたちが成し遂げるのではありません。神が、成し遂げてくださるのです。人間の業績、これまで積み重ねてきたものが、どんなに立派なものがあっても、それで神の目標を成し遂げることは出来なのです。神の目標は神によって成し遂げられるのです。わたしたちは、ただその神の働きにあずかっているだけなのです。罪深いものであるが、神はそのようなわたしたちと共に走り、神が設定なさった目標を成し遂げるようにしてくださるのです。惨めなわたしたちですが、神はこんなわたしたちを用いて、今も、ご自身の宣教の目標を成し遂げられているのです。そしてその働きを通して神は、こうおっしゃるのです。「肉的なものを頼りにしないで、わたしを頼りにしなさい」と。

　　出エジプト記４０：３４－３８が語ろうとしているのは何なのでしょうか。イスラエルの民の旅路、というのは、神の手に委ねられていることではないでしょうか。神の出発信号で出発し、神が止まれと言われたら、止まることでしょう。神を頼りにすること、自分を見つめなおすこと、そして目標に目指して走ることは、イエス・キリストにあってわたしたちを愛しつつけられている神の信号に従って、その信号を見ながら、走ることなのです。共に、神様をわたしたちの信号にして、参りたいと願うのであります。