フィリピの信徒への手紙２：５－１８　　　「キリスとの従順」　　　　


　　この箇所はいわゆる「ケノシス・キリスト論」と呼ばれるところで、新約聖書の中でも代表的なキリスト論です。「ケノシス」というのは「へりくだり」という意味で、２：７から由来した言葉です。今日は、２：５－１８まで読んでいただきましたが、そこには一つの理由があります。それは、パウロが２：５－１１までは「キリストの従順」について書いたが、２：１２－１８においては「キリストの従順と人間の従順との違い」について語っているからなのです。パウロが言っていることは、キリストの従順を教会でどう生かしていくべきかについてであります。今日は、イエス・キリストの「ケノシス」と教会との関係から、すなわち「教会論的ケノシス」という立場から、解き明かしていきたいと思っております。

　　
　　キリストのへりくだり（２：５－８）
　　２：５－８までは、イエス・キリストの「へりくだり」について語っているところです。ここで、パウロが強調していることは、「イエス・キリストが神のでありながら、ご自分を無にして、僕となり、人間と同じ者になられた」というキリストの「インカーネーション」と「十字架における死」であります。

　　キリストが「神の身分である」ことについては、これまで色々な解釈がなされてきましたが、それらの解釈は二種類で要約できると思います。一つは、キリストが神と「本質的に同じだ」という見解です。キリストが神その者だという解釈です。例えば、ヨハネによる福音書１章は先在されている神としてキリストについて語っているのでしょう。もう一つの見解は、「神の身分」というとき「身分」というのは「神の栄光」を現すものだという解釈なのです。コロサイの信徒への手紙１：１５「御子は、見えない神の姿であり、すえてのものが造られる前に生まれた方です」。ここに「神の姿」を「身分」であるということです。コリントの信徒への手紙二４：４「この世の神が、信じようとはしないこの人々の心の目をくらまし、神の似姿であるキリストの栄光に関する福音の光が見えないようにしたのです」。

　　しかしながら、次に出る「神と等しい者であることに固執しようとは思わず」という箇所から考えると、キリストの「身分」というのは単なる「栄光」の次元の問題ではなく、むしろ「神と同じ本質」でありと同時に、「栄光を受けるに相応しい方」と解釈しほうが説得力のある見解ではないかと思われます。

　　神であるキリストのへりくだりは「僕の身分になる」ことで絶頂に達します。「僕の身分」というのは昔から「人間としてのキリスト」の描写だと言われてきました。これはキリストが、わたしたちと全く同じような「人間性」を持つ方としてのイエス像であったのです。ローマの信徒への手紙８：３「肉の弱さのために律法がなしえなかったことを、神はしてくださったのです。つまり、罪を取り除くために、御子を罪深い肉と同じ姿でこの世に送り、その肉において罪を罪として処断されたのです」。ヘブライ人への手紙２：１４です。「ところで、子らは血と肉を備えているので、イエスもまた同様に、これらのものを備えられました」。イエス・キリストは罪がないことだけが人間と異なるところであり、その他は本姓的にわたしたちと全く同じ人間でありまして、また全く同じ生涯を送られたということです。

　　イエス・キリストの贖罪の働きによって教会は生まれました。わたしたち教会は神の栄光のあるところです。教会は神の栄光を現さなければならないのです。ある意味で教会は、この世に神の姿を見せる団体だとも言えるのでしょう。教会の働きを通じて、見えない神の姿を確認させることは、常に見える神々を探している弱い人間を救うための「救済的な配慮」だと思います。わたしたち、教会に与えられた働きの大きな意味はそこにあるのではないかと思います。

　　そのために、教会は「世のための教会」とならなければならなのです。イエス・キリストが神にあって「人間として」現われたことと同じく、教会の世にある神の聖なる教会としての働きが必要ではなきかと思います。これは、世に役に立つ教会として形成していくことなのです。この世と共に笑い、共に泣き、喜びや悲しいことなどをも分かち合うことのできる教会を形成していくことなのです。

　　ところが、このような働きは教会をよくしていく、単なる人間的な働きではないとい思います。このようなは神様にわたしたち、教会を捧げる働きであり、この世と神とを和解させる、「仲立ち的な働き」だと思います。このような働き自体が教会にとって「死に至るまで従順」することであります。２：８です。「へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした」と書いてあります。キリストの神への従順、すなわち「キリストのへりくだり」とは「わたしたちの運命を喜んで受け入れたキリストの生涯」なのです。神様にキリストはご自身をいけにえとして捧げられたのです。神の御心を実現するため、つまり、この世に対する「神の愛による救い」の意志を現すため、キリストは「死に至るまで従順」されたのです。教会がこの世に存在している価値は、神の贖罪の完成に向かって常に十字架を背負っていくことなのです。

　　ガラテヤの信徒への手紙３：１３「キリストは、わたしたちの呪いとなって、わたしたちを律法の呪いから救い出してくださいました」。コリントの信徒への手紙二５：２１「罪となんのかかわりもない方を、神はわたしたちのために罪となさいました。わたしたちはその方によって神の義を得ることができたのです」。
　　

　　神によって高められるキリスト（９－１１）
　　５節から８節まではキリストのインカーネーションとその贖罪に関する教説を述べたパウロは、９－１１節において神によって高められるキリストについて語ります。いわば５－８節までは、主人公がイエス・キリストであったが、９－１１までの主人公は、神に変わるのです。

　　「このため、「神は」キリストを高く上げ、あらゆる名にまさる名をお与えになりました。こうして、天上のもの、地上のもの、地下のものすべて、イエスの御名にひざまづき、すべての舌が、イエス・キリストは主であると公に宣べて、父である神をたたえるのです」。

　　イエス・キリストの従順は、神が死んだもののうちからキリストをよみかえらせることを通して、高く上げられるのです。「神はキリストを高く上げ」というのは、キリストの復活を指すのです。「あらゆる名にまさる名」と書いてありますが、それは、神によってキリストに与えられた「名声」なのです。これらのものすべては、キリストの従順に対する神の「アーメン」、つまり「報い」なのです。「お与えになりました」というのはギリシャ語で「ekarisato」と言うのです。これは「karis」、つまり、神の「好意」によって与えるとの意味なのです。

　　神様がイエス・キリストを高く上げられる目的は「すべての舌が、イエス・キリストは主であると公に宣べて、父である神をたたえる」ためなのですが、それは、神の偉大さを宣べ伝えるためなのです。これは、おそらく旧約聖書にその根拠があるものと考えられます。例えば、イザヤ書４５：２３「わたしは自分にかけて誓う。わたしの口から恵みの言葉が出されたならば、その言葉は決して取り消されない。わたしの前に、すべてのひざはかがみ、すべての舌は誓いを立て」とあります。

　　また、神様がイエス・キリストを「主」として高く上げられることは、万物をキリストにあって統一させ、究極的には、神様がすべてのもののすべてとなるためなのです。例えば、エフェソの信徒への手紙１：１０「こうして、時が満ちるに及んで、救いの業が完成され、あらゆるものが、頭であるキリストのもとに一つにまとめられます。天にあるものも、地にあるものもキリストのもとに一つにまとめられるのです」。神様がすべてのもののすべてとなることは、神様が希望であることの意味でしょう。

　　教会の望みは神にあります。神の「karis：好意」によって教会は尊い場所となりうるのです。「好意」というのは「その人にいだく親しみや好ましく思う気持ち」、あるいは「親切な気持ち」というのですね。教会が尊い場所となるのは、まさに教会に対する神様の「親切な気持ち」によるのではないでしょうか。そしてそのような神様の思いによって教会は神様に望みを置くのでありましょう。ですから、わたしたちの希望の元は神様の行いによるものなのです。神に対する教会の従順は、神の救いを達成する行いであると同時に、神に望みを置けるようにする神の行いです。１３節です。「あなたがたの内に働いて、御心のままに望ませ、行わせておられるのは神であるからです」。

　　教会が神の働きを全うすること場となることは、「すべてにおいてすべてを満ちておられる神がその働き場」とされておられることに起因するのです。教会が、この世の中に存在する理由は、神が教会を通して万物を満たされるところにあると同時に、教会を通じてこの世が神の「karis：好意」をいただくことができるからなのです。イエス・キリストの働きが世を救う働きであって、それが世の歴史の中心点を指すものであるならば、そのキリストを頭とする教会は、まさにこの世の真ん中にある「場」として存在することができるのです。人間としてへりくだったイエス・キリストが歴史の真ん中におられ、歴史を救ってくださったように、教会には歴史を救っていく働きが与えられたといえるのでしょう。


　　清い者としての教会（１４－１８）
　　パウロはイエス・キリストのへりくだりについて述べた後、フィリピの教会の人々にキリストにあって神の目的が成就されるように、教会が清いものとなっていくことを求めているのです。１４－１５です。「何ことも、不平や理屈を言わずに行いなさい。そうすれば、とがめられるところのない清い者となり、よこしまなまがった時代の中で、非のうちどころのない神の子として、世にあって星のように輝き」。

　　パウロのいう「とがめられるところのない清い者となり」ことは、教会が非難を受けないような生き方を指すのです。そして「非のうちどころのない神の子」とは、マタイによる福音書１０：１６にあるように、「蛇のように賢く、はとのように素直になる」ことを指すのです。キリストの花嫁になれる「純潔な処女」のような生き方、またそのような教会となりつつあることの意味と考えられます。パウロが求めている「清い者としての教会像」は「何ことも、不平や理屈を言わずに行いなさい」と書いてあることからわかるように、教会内部の問題で互いに争うことをしない、教会像であったのです。３章を学ぶときに、申しますが、フィリピにある教会には、内部的な問題で争っていたのです。その原因の一つは、信仰的に完璧さを追求する「完全主義者たち」の信仰によるものであったのです。３章でパウロが自伝的なことを上げる理由がそこにあるのです。いずれにせよ、パウロのいう清い者としての教会というのは、信仰的に完璧ではなくても、イエス・キリストにあって互いに従順する教会、互いに使い合う教会、互いに愛し合う教会、どんな問題が立ふさがっていても、それで争うこととはしない教会なのです。これが教会の純潔を保たせてくれるのです。また、この純潔を保つことによって、時代の波に押し流されないからでしょう。

　　教会が置かれている時代は「よこしまなまがった時代」であります。世は、道徳的に曲がっており、霊的には堕落しています。そして世が常に、教会に敵対していることをも否定できないことではないでしょうか。このような時代の中で、教会は常にこの世と衝突する危険にさらわれているのです。ある意味で、この世は暴れている海のようなもので、教会はその上を航海する小さな小船のようなものではないかと思います。いつ、沈没されるかどうか、安全に港へ帰れるかそうか、分からないまま航海をつづけているのです。

　　しかし、このような酩けの航海は意味のある航海なのです。１６節です。「こうして、自分が走ったことが無駄でなく、労苦したことも無駄ではなかったこと、キリストの日に誇ることができるでしょう」。たとえ、わたしたち、教会に誇ることのできるものがなくても、過ちや間違いを犯しても、神のために全うした教会の働きは、決して無駄なものにはならないのです。教会の働きは、神様によって報われるのです。神様がイエス・キリストを高く上げられたのは、イエス・キリストに対する神様の「報い」であったことと同じように、わたしたちの労苦したことも神様から報われるのです。

　　教会が教会として立ち続けられるのは、教会の努力によるのではなく、イエス・キリストにあって与えられる神の「karis：好意」によるものからです。神が清いものとみてくださるから、教会は霊的に堕落しているこの世で、「純潔な処女」として立ち続けられるのです。イエス・キリストにあって神の「karis：好意」によって、教会は「世にあって星のように輝く」ことのできる共同体となるのです。パウロはコリントの信徒への手紙一１５：５８においてこう述べています。「わたしの愛する兄弟たち、こういうわけですから、動かされないようにしっかり立ち、主の業に常に励みなさい。主に結ばれているならば自分たちの苦労が決して無駄にならないことを、あなたがたは知っているはずです」。

　　キリスとの従順を実践して参りましょう。